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京都・滋賀GW旅行(滋賀編その3)

2023-06-28

波方担当の藤本です。

 5/4、この日は草津市から北上して彦根市にある彦根城を目指しました。高速道路を使うと1時間くらいで着きますが、せっかく滋賀に来たので琵琶湖を左に見ながら一般道を行くコースを選択しました。はじめのうちは琵琶湖沿いではなく、田園地帯の中を走りました。麦がよく育って黄色くなりつつあります。これから稲の季節ですので農家の方も田植えの準備をされていました。滋賀は水路がたくさん走っていてどことなく今治の雰囲気もします。しばらく車を走らせると琵琶湖が見えてきました。やはり湖というより海ですね。車のウインドウを開けて走ると琵琶湖の上を吹いてくる少しひんやりとした風が気持ちよく、気分が爽快になってきます。私は琵琶湖東岸を車で走りましたが、GW真っ只中。それぞれの浜では大勢の人たちがキャンプを楽しんでますし、道路にはサイクリストたちが早朝からロードバイクを走らせています。

 1時間半ほど琵琶湖東岸ドライブを楽しみました。彦根市に入り、琵琶湖に別れを告げて車を右折させ少し走ると彦根城が見えてきます。駐車場に止めることは出来ましたが、午前9時前にしてほぼほぼ満車状態です(^_^;)チケットを買うのにも20分ほどかかりました。この時間で彦根城天守閣入場は90分待ちになっていました。係の人がとなりに併設されている博物館の方を先に見学してはどうかというので先にそちらに向かいました。

井伊と言えば赤備え。徳川軍の常に先陣を担ったといわれる井伊家に伝わる象徴的な甲冑です。今回展示されていたのは二代藩主井伊直孝が着用していたとされる甲冑です。直孝の甲冑の他にも歴代藩主の赤色の甲冑を多数所蔵しているようです。

朱色の馬柄杓(まびしゃく)です。徳川の家紋が入っています。徳川将軍家からの拝領品でしょうか?実際にこれで馬に水を与えたわけではないでしょうが、贅沢な一品です。

博物館内に再現された藩主の表御殿の庭です。このような庭を眺めながら「今日は良き日和である。」と歴代藩主は言ったことでしょうね(^_^)

 博物館を出ると予期はしていましたが、天守閣入場は120分待ちになっていました。ここで天守閣入場にこだわると完全に旅程が崩れそうなので、早々にあきらめて天守台の方を目指して登っていきました。

これが彦根城の全体マップです。     (彦根城運営管理センターさんの掲載マップをお借りしました。)

 写真は天秤櫓(てんびんやぐら)を写していますが巨大でなかなかうまく収まりません。たくさんの人だかりが見えますが、これは天守閣入場待ちの人たちです。この天秤櫓は表門と大手門が敵に突破されてからの第一の障壁となり、橋を落としてしまえばこれ以上の侵入は困難を極めます。 

天守台に来ました。彦根35万石にしては少々小ぶり天守閣です。

それでも金箔を施したり、数々の破風といった意匠からは強さというより雅さを感じさせられます。

 この彦根城は西国の抑えとして徳川譜代筆頭とも呼ばれる井伊家が歴代城主を勤めた城です。初代藩主・井伊直政は関ヶ原の戦いの後、石田三成の居城であった佐和山城に入りました。直政は佐和山城が三成の居城であったことを嫌ったといい、近世城郭としての利便性を考えて琵琶湖の近くに彦根城築城の計画を始めましたが、ほどなく直政は死去していまいます。しかし、その息子の直継・直孝と家臣たちが直政の意志を引き継ぎ、1622年に完成に至りました。その工事は天下普請として徳川家の号令の下、諸大名を動員しての大土木工事となりました。

 私が興味深く思ったことはこの彦根城は彦根城周辺の廃城となった城の櫓や天守を移築して構成されていることです。諸説ありますが、天守閣は関ヶ原の戦いの直前に落城した大津城から、天秤櫓(てんびんやぐら)はかつて豊臣秀吉の居城であった長浜城から、太鼓門櫓(たいこもんやぐら)は石田三成の居城・佐和山城から、西の丸三重櫓はかつて浅井長政の居城であった小谷城からといった具合です。昔からリノベーションという考え方はあったようですね。それでも構想から足かけ20年かかっての完成です。

西の丸三重櫓の内部から城の西側を眺めた写真です。琵琶湖が見えます。この櫓は重厚な作りで城の裏側を守る重要な防衛拠点になる役割とともに琵琶湖の監視任務も担っていました。

西の丸三重櫓から城の東側を見ると、かつて石田三成の居城・佐和山城があった佐和山が見えます。手前中央の小高い山です。彦根城は天守閣に登らずとも各櫓が公開されている時期もあり、十分楽しむことが出来ます。

 天守台周辺を後にして次に来たのが城の東側にある大名庭園であった玄宮園(げんきゅうえん)です。この庭園は中国南部にある洞庭湖周辺の水郷地帯をイメージした造りと中国風の呼び名をした回遊式庭園です。私はこのような庭園は大好物です。四国では栗林公園が有名です。宇和島にもあります。形式が異なりますが、私が以前訪れた鹿児島の仙厳園(せんがんえん)からは桜島が見え、そのスケールの大きさは雄大で見応え十分です。まさに殿様気分を味わえます。好きな人は一日そこに居ても飽きません。では彦根城はどうかというと、

彦根城の優雅さを眺めながら過ごすこの時間は贅沢以外のなにものでもありません。藩主の隠居所のとなりにあるこの庭園。彦根藩歴代の御隠居様もこの風景を眺めながら余生を過ごしたものと思われます。

 大老・井伊直弼の銅像です。歴史好きの人ならば悪役のイメージが離れない人物だと思います。体制が揺らぎつつあった徳川幕府の大老職に就き、尊王攘夷論を唱え一橋慶喜を将軍に担ぎ出そうとする薩摩藩をはじめとする雄藩連合の力を削ごうとして、紀州藩ののちの徳川家茂を擁立し、開国を推し進め、安政の大獄と呼ばれる攘夷論者たちの粛清を断行します。これが反感を呼び、桜田門外の変で井伊直弼は暗殺されることになります。そののち、井伊家では直弼の次男・直憲(なおのり)が17代藩主となります。しかし、徳川政権内で井伊家の立場は次第に悪くなっていき、最終的には徳川を見限り新政府軍に付くことになりました。徳川譜代筆頭の井伊家が最終的には徳川を裏切るとはなんと数奇な運命なのでしょう。時代の流れの中で人は様々な決断に迫られます。直弼は譜代大名として幕府を守るために、直憲は家名を守り、新しい世のために、それぞれが領分を果たしたと言えるのではないかと私は思います。

 予定していた時間をだいぶ過ぎ、彦根城を後にしました。この後、当てにしていた昼食も叶わず、近江八幡市観光も混雑のため断念することになりましたが、織田信長の居城があった安土の近くを通るなど、滋賀に残る歴史の一端を楽しめた良い旅となりました。次に機会があれば琵琶湖東岸、比叡山、琵琶湖北部あたりを旅したいと思います。

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